LIFE(仮題).

つれづれ……というにはあまりにも休み休みですが(笑)。

リサイクル(笑)。

パソコンが吹っ飛んでしまったときに電脳の海の藻屑となってしまったかと思われていたテキストファイルがFDに収納されておりました。
数年前、友人のサイトとの連携企画でわたしが文、友人がイラストという形でweb上に掲載していたモノです。絵は電脳の海の藻屑……ごめんなさい。
あまりの懐かしさにここに採録しておきます。3連作で、わたしは「ばらまきシリーズ」と身もフタもなく呼んでいました(笑)。
というわけで唐突に第一作:「ポテトチップス」をどうぞ。

『ポテトチップス』

 おかしな事に、ドアを開けると待っていたのは真っ暗闇だった。
「ナミ?」
 ぼくが不審に思うのも無理はない。彼女が鍵も掛けずに出かけるような真似をできるはずはないし、なにより受話器を取るなり名乗りもせずに「ねえ、今すぐ来てね」とだけ言って切ってしまってから10分と経っていないのだから。文字通り、“今すぐ”だ。
 あの声は、別にどこかおかしいという感じはしなかったのに。首をひねりながら照明のスイッチを探したが、一向に見つからないので諦めて手探りで靴ひもをほどく。わずかに入ってくる月明かりだけがぼんやりと手元を照らしていた。
 そういや、ちょっとばかりテンションが高かったか。右足を靴から引っ張り出した瞬間に思い出す。そんなことより、第一、普段は電話では必ず「真砂です」としかつめらしく名乗るはずじゃないか。たとえ含み笑いの声であっても。
 ほとんど口から呟きになって漏れ出そうなくらい強力に考えながら玄関を上がる。闇の中に白いドアが浮かび上がっていて、手招きされているように見える。
 迷わずノブに手を掛ける。サスペンスまがいだ。
 ナミは居る。根拠もなく急な確信がわき上がってきて、ぐいっとドアを開けて踏み込む。右足を、振り上げて、一歩。



 ……ぱり?

 緊迫した暗闇には似つかわしくない乾いた音が、足下から聞こえた。
 靴下に突き刺さるような、経験にないざくざくした感触が残る。ありえないはずの現象に、にわかに総毛立ってくる。何だ?何があるっていうんだ?ここにきて混乱してくる。ナミに会わなくちゃ。
「ナミ?いるんだろ?」自分以外の体温が渦巻いているのがサーモグラフィでも装備しているかのようにわかる。壁についたスイッチを探り当てて、必要以上の力で押し込む。
 ?
 一瞬、自分がどこに立っているのかわからなくなってしまった。
 見慣れた壁、カーテン、観葉植物。それなのに。
 明らかに動揺したぼくの足下で、また小さな音がした。

 ぱり。ぱり、ぱり、ぱり。ざくざく。
 そうだ、これだ。
 部屋はとんでもなく眩しい。
 何だこれ?

「いらっしゃい」
 床の真ん中に座って、いつものように笑うナミがいる。あまりにも普通に。わけがわからない。もう一度、立ったままで部屋を見回す。
 ナミの周り、床。そこいら中に散らばっているもの、ぼくの足下で情けない音を立てて刺さってきたもの。
 それは。
 ……ポテトチップスだった。
 一体どれだけあるかわからないほど撒かれている。とにかく辺り一面、もしかして床の模様か?とバカな考えを起こしそうなくらいに。
「どうしたの?ソータくん」ナミは相変わらずいつもと変わらない調子だ。ただし普段よりもずっと頬が紅潮していることに、やっと気づいた。
「どうしたの、ってそりゃこっちが聞きたいよ」怒りでも情けなさでもなく、本当の質問口調で訊く。へにょへにょと力が抜けていく。
「ポテトチップスだよ」
「わかってるよ」
「じゃあいいじゃない」ふくれっ面をしようとしてみるものの、結局は笑ってしまう。
「いやいや、ぼくはどうしてこんなことになってるの、って訊いてるんだけど」
 ぼくの質問に、ナミは瞬間大まじめな表情で見上げる。

「やってみたかったの」

 あまりに直球な答えに5秒ばかり考えてしまう。当然といえばあまりに当然だけれど、予想外すぎるじゃないか?おい。ぼくの動揺などお構いなしで、ナミはどんどん話し始める。また笑顔に戻って。
「今日は天気が良くてお休みだったから、床掃除をしたのね。そしたらずいぶんぴかぴかになって、片づけもしたから部屋は広くなってるし、やったー!って思ってたら、急にね、ここにわーっとばらまいてみたくなったの。ウロコみたいだろうなあって」
「……そうか」おそろしい事に、その言葉を受け入れてしまった。事実は変えられない。
「せっかくだからソータくんに見せようと思って。暗くして待ってる間笑っちゃって大変だったよ」
「なるほどね」質問を切り上げ(しても無駄だと悟ったのだ。もとより問いつめる気などないけれど、今や完全にその気持ちは失せてしまった)、改めて床を見渡す。
 それにしても見事なものだ。一体どれくらいのポテトチップスを買い込んで放り出したのか見当もつかない。訊くと、ナミは自分の脇にあったゴミ箱を持ち上げて見せた。入っているのはポテトチップスの袋だけで、丸められた上で3分の2は占めていた。もしかして店のポテトチップを買い占めたんじゃないか?
「うーん、大きいスーパーだったからそうでもないよ、半分くらいかな。」……それだって十分に圧倒的だ。歩いて持って帰って来たんだろう?うん、もちろん。
「確かに十分驚いたよ」心底からぼくは言う。人生で五本の指に入る驚きだと思ってもおかしくない。いや、確実にそうだろう。
「ふふ」得意げに笑うナミがやけにおかしい。
「でも片づけないとさ、身動き取れないよ、これじゃ」
 ぼくの溜め息混じりの意見に、ナミは目を輝かせて笑った。
「食べようよ、これ。お腹空いたし」
「これを?」……何を言い出すんだ?この人は。
「床ならきれいだよ、すごく一生懸命掃除したんだから、お皿と一緒だよ。ね?」言いながら、すぐそばの大きな一枚を口に運ぶ。普通と同じに、ぱりりと音を立てて噛む。すごくおいしそうに、次々と。
 ぼくの決断、いや、諦めは早かった。今日のナミには逆らうことなんてできやしない。オーラが違う。
「まあ、いいか」小さい声で呟いてから、かがみ込んで砕け散ったやつの隣をつまむ。コンソメ味が濃く口一杯に広がった。
「のどが渇いたらお茶があるからね。ソータくんの分もコップ用意しておいたから」飲みかけのグラスを掲げて見せる。口にはポテトチップスが入ったままだ。
「はいはい」

 ぱりぱり。さくさく。

 ナミは「あ、これしょうゆバターだ」とか、「のりかと思ったらフレンチドレッシング味だよこれー。口にいれるまでわかんないものね」などと言いながら結構なスピードで床を拡大していく。ぼくはなにも言わず、黙々と食べ続けた。
 言いたいことはナミが全部言ってしまうのだ。ことポテトチップスに関しては。

 ぱりぱり。

 かなり広範囲に床を回復したのだが、いかんせんこれには物理的限界があった。なにせ相手はじゃが芋で、なおかつ油で揚げているものだし、ぼくたちの胃袋は無限じゃない。まったくもって善戦したと思う。
「ああ、もういいや。満足した」そう言ってナミは本当に嬉しそうにグラスのお茶を一気飲みして息をついた。
「ソータくんもお腹一杯だったらやめていいからね?」
 真剣にぼくに話しかけるナミを見て、不意に、

 キスしようか

 と思ったが、やめた。
 ポテトチップスの味がすることは、どう考えたって決まっているから。
 でも、お茶のお代わりはもらうことにした。彼女はきっと、笑ってくれるだろう。