LIFE(仮題).

つれづれ……というにはあまりにも休み休みですが(笑)。

時間ではないもの

5年が経ちました。
2011年3月11日、北海道で為す術もなくテレビの向こうを呆然と見つめていたわたしは、今、「向こう側」にあった町の一つに住んでいます。
町はよみがえりつつあります。吃驚するほど、いろんなナンバーの大型車両が毎日行き交っています。
通るたびに姿を変える、そんな感じです。


だけど、震災がさらっていったものは、あまりにも大きい。
リアルタイム中継で見た景色が、この世の現実とは思えなかったとおり。


5年経っても、「よみがえりつつある」でしかない。
幹線道路、防潮堤、かさ上げした土地……が次々できる一方で、仮設住宅はなくなっていない。
それは、余りにも規模が大きい災害だったから、だけが理由ではないことは、ここにいると感覚で染みこんでくる。
時間が経てば、自然に立ち直るものではないのです。それが可能である場所は、本当は多くない。
悲しいかな、それが現実なのだな、と。


そして、震災は、記念碑にしてはいけないのだと、強く思うようになりました。
「明日、また来るかもしれない」
震災は、いつだってここにあります。日常です。
3月11日は、忘れられないし忘れてはいけない日です。でも、特別な日ではない。
日付なんて、ただのタイミングです。なにもかもを縛る日ではない。
むしろ、3月11日だけを特殊な日にして、残りの365日は「なかったこと」にしてしまう方が、かなしくむなしい。


5年の間には、いろいろ思うこともあったし、悩むこともありました。
だけど、ただ、「震災後の日常を生きていこう」と、思うのです。

インパクトのあるメニュー

今週のお題「給食」

どうも。
仕事に追われてネタのない拙ブログ、更新の練習のためにお題を利用しております(笑)。


さて、今週は「給食」。
昔々、我が母上がいわゆる“給食のおばさん”をやっていたので、「母親が調理に携わった給食」を口にする機会があったという経験の持ち主です。
そこそこ珍しいのでは。


義務教育9年間にわたって給食を食べてきましたが、今でも印象に残っているメニューはいくつかあります。
その筆頭は、「たまごカレー」。
カレーの具に、ごろごろとウズラの卵(水煮のやつ)が入っているというものでした。
美味しい不味い以前に、なんか嬉しいんですよね、これ。
ウズラの卵って、なんとなくスペシャルなイメージがあるからだと思うんですよ。八宝菜とかあんかけ焼きそばの上に一つちょこんと乗っている、っていうアレです。一口サイズなのに卵!っていうのもなんとなく嬉しいですよね*1
それが給食のアルミカップの中で、カレーに浮かんでいる訳ですからねぇ……。
日本人には珍しく(?)、カレーがあんまり好きじゃないわたしでもテンションの上がるメニューでした*2。最後に口に入れたウズラの卵をいつまでも転がしていたりなんかして。
今でもあるんでしょうかねぇ、あれ。

*1:そのせいか、今でもウズラの卵は結構好きです。もう成人しちゃったので主に燻製とかおつまみで食べるわけですが。あのプチッと噛み切って白身と黄身をいっぺんに食べる感じがなんとも。

*2:家であまりカレーを食べる習慣がなかった上に、辛いモノが苦手な母親が作ったカレーが美味しくなかったのです。家カレーの微妙さは母公認。

なぞのことば。

今週のお題「方言」

北海道の方言って、混成部隊なんだなぁ……。と、本州に住むようになって改めて思いました。
「あ、それこっちでも使うよ」と言われる言葉も多いんですよね。特に東北地方だと、行き来も多いので。
だから今でも、
「あの子はめんこい」し、「ゴミを投げる」毎日です(笑)。

でも、「なまらびっくりした」と「これをばくってちょうだい」は通じません。
(「なまら」=「very」なのは、北海道弁としてはポピュラーだし「水曜どうでしょう」で大泉さんが連呼しているので理解はしてもらえますが。東北地方のどうでしょう認知度、すごく高いです)
「ばくる」……謎です。いや、グーグル先生に聞けばいろいろ説は出てくるんでしょうけれども。

ただ、北海道と東北地方(といっても、サンプルは岩手県だけですが)ではイントネーションが思いっきり異なります。
言葉そのものよりも、そっちの方が慣れなかったですね、はじめのうち。
もう5年も住んでいるので、自分の喋りがだんだん怪しい感じになってきているのを自覚しています(笑)。